タグ

タグ:災害

カテゴリ:
中国青海省で、14日午前7時49分(日本時間8時49分)大きな被害の地震が発生した。
震源地は北緯33.1度、東経96.7度の省南部で、
チベット自治区や四川省に近い標高4000メートルを超える山間地。
大きな地震のあった四川省とも隣り合わせている。その関連地震なのだろうか。
■中国地図arachina
http://www.arachina.com/map/index.htm

規模は「モーメントマグニチュード」で6・9と、阪神淡路大震災と同じ。
震源の深さは10~20キロ、これも阪神淡路大震災の約16キロと同じくらいで、震源の浅い直下型地震。
全長約800キロメートルにおよぶ「鮮水河断層」の北西端約40キロがずれた。
■青海省地震、阪神大震災級の規模で直下型 2010年4月15日(木)14:49
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/life/science/20100415-567-OYT1T00669.html

大災害が発生したとき、人はやむにやまれぬ思いで、その場に駆けつけて助けたいと思う。
しかし、行った先は災害現場、そこには、混乱や不安、恐怖も待ち構えている。
ボランティアに行くには、自分自身で自分の面倒を見る力も求められる。
自己完結ができること。
災害ボランティアの心得。

阪神淡路大震災が起こったとき、その場に行った松山文紀さんは、受け入れ態勢がいかに必要かを痛感した。
人手は欲しいが、混乱の中ではどうしようもなく、ボランティアを断っていたと言う。
その中で、大学生のボランティアとして、できることをやってきた。
そして、東海地震が叫ばれる地元で、災害ボランティアセンターの必要性を説いて、活動もしてきた。

松山さんは、日本で災害ボランティアセンターが稼動したのは、あのナホトカ号のときだったと回想する。

ああ、そうだったか。
日本海の海岸が、重油でべっとりとした海になり、波打ち際は見るも無残だった。
海辺の住人が、それでもバケツを持って重油を取り除こうとする姿がテレビで報道された。
目の前の惨憺たる有様に、手をこまねいていられなかった気持ちが痛いほど伝わってきた。
その様子を見た人々が、全国から、バケツで重油を汲み取る、と言う作業に出かけた。
延々と、いつ終わるとも知れない作業。海鳥の黒い体を、保護しては洗浄する作業。

参集した人々のためのボランティアセンターは、そのときに本格的に出来上がった。

 
1997年1月13日ロシアのタンカー「ナホトカ号」はC重油16,000キロリットルを積載して
ロシアのカムチャツカ半島にあるペトロパブロフスク港へ向かう途中、
島根県隠岐諸島の沖で、嵐のため船首部を折損沈没し、大規模な重油流出事故を引き起こした。
積み荷の重油は、約6,240 klが海上に流出。
また、海底に沈んだ船体の油タンクに残る重油約12,500 klの一部はその後も漏出を続けている。

座礁した船首部分の油タンクに残っていた重油は、
海上での回収作業および陸上からの仮設道を利用した回収作業により2月25日に回収を終えた。
海上に流出した重油は福井県をはじめ、日本海沿岸の10府県におよぶ海岸に漂着し、環境および人間活動に大きな打撃を与えた。
◎ナホトカ号重油流出事故について 福井県衛生環境研究センター
http://www.erc.pref.fukui.jp/news/oil.html
◎ナホトカ号重油流出事故による水鳥救護の記録
http://www.erc.pref.fukui.jp/gbank/reports/nakhodka/nakhodka.html
◎ナホトカ号事件 環境用語集
http://www.eic.or.jp/ecoterm/?act=view&serial=2001

その後、災害の多かった2004年には、全国で58箇所ものセンターが設置された。
7月に、新潟、福井、福島で水害。8月は台風16号で、香川が。
9月に台風21号で、愛媛、三重。10月は台風23号により、兵庫。
そして、新潟県中越地震。

災害ボランティアセンターは、常設の施設ではない。
災害時に、既存の施設を利用して、立ち上げが行われる。
災害対策本部のようなものだ。

どんなボランティアが、どこで、どれほど必要なのか、今欲しいものは何か、いらないものは何か、
それぞれの地域で、集約して、駆けつけるボランティアに情報を渡し、効率よく結び付けてゆく。

災害ボランティアセンターは、立ち上げる人々が必要、そして、その場で情報をやり取りできる能力のある人も必要。

静岡市では、葵区・駿河区は番長市民活動センター、清水区はハートピア清水、
清水区の由比・蒲原は蒲原福祉センターに、災害ボランティアセンターが立ち上げられる。

静岡市と社会福祉協議会がその役割を担い、養成講座を受講した市民も災害ボランティアコーディネーターとして活動する。
そのために、立ち上げ訓練も行われてきている。

しかし、災害時は何があるか分からない。
その人たちが集まれるのかどうかも、各住民組織との連携も、どのように運ぶか分からない。

私たちは、そういう場所が設けられる、と言うことと、自分が無事であったなら、
地域の救護所などの手助けはもちろん、災害ボランティアセンターとの連携も、覚えていたい。

このページのトップヘ

見出し画像
×